至福感に包まれたり、批判的になったり、
なんだか感情の起伏が激しい日だった。
道端の花に住む妖精が微笑んでくれたり、
風にそよぐ木々の葉が守ってくれたり、
低く流れる雲にみとれたりして、
町も自然も、つまりは世界のすべてが味方だと気づいたのに・・・
私の中にはまだ、黒い塊が居座っていて、
調和を崩すものの正体を、否が応でも見せつけられる。
「魂に埋め込まれたエンコードメントは、初期設定のままなのだ」
瞑想によって変更できることを知る。知ったのに・・・
私の手の中には、まだ過去しかない。
魂の成長を阻害することは、変更され得ないのだという。
菫が薔薇になりたいと思っても、それは無理な話。
菫は菫を、薔薇は薔薇を、ただひたすら全うするから、花は美しい。
ゲーテの詩にある菫を思い出す。
菫は人間に恋をした。「ああ、あの人の胸に抱かれたら、どんなに幸せか」と思う。
そんな望みを抱きながら、菫は存在すら気づかれず、その人に踏み潰されてしまう。
それでも菫は幸せに思うのだ。「その足元に死ぬる、この身は」と。
いかがなものだろう?
薔薇になりたい訳じゃない。
ただ菫は菫のままで、愛する人の手の中に居たいのだ。
ただそれだけの望みが叶わぬ人生なんて・・・と嘆くのが普通だろう。
その状態では心は闇の中。
ゲーテの菫にでもなれれば、心は光に包まれる。
同じ状態でも、一方では闇に沈み、一方では光に浮かぶ。
その先には何があるだろう?きっとまだまだ旅は長く続くのだ。
どこにゴールを設定するか。
それによって、どこへブレイク・スルーしようとするのかも変わってくる。
闇の正体とは何か?
それは狭く小さく偏った固定観念なのだ。
表層意識も氷山の一角。この世だって氷山の一角。
なのに私たちは、この氷山の一角にしがみついて、一喜一憂を繰り返す。
平和な空に鳥が舞い、木洩れ日が光を綾とって、水の音が深層へと誘っても、
私の中にはまだ黒い塊が居座っていて、見えない怪物に怯えてしまったりもする。
「愛の化身であることを思い出す」
そう、そこに留まっていられたら、光も闇も、我が身の内に収束するのだろう。
愛する人に抱かれようと、踏み潰されようと、内容物は同じなのだ。その出来事に、どんなラベルを貼るのかは、個人の自由意志に任されているのだから。
今日の自分のラベルを確認したら、「妖精のメランコリー」と書かれていた。

